知的好奇心が旺盛
知的好奇心が旺盛で、天皇の質問に対しては、一切のごまかしも通用しなかったほどあらゆる出来事に精通していたといい、質問を受けた者は常に緊張していたという。その質問は予想もしないようなところから飛んでくるものも多く、しばしば相手に冷や汗をかかせた。もっとも相手を追い詰めるような質問はすることがなかったという。
進講などを受けるときには、両手を膝の上に置き、足をそろえてじっと相手の話に聞き入った。話が一通り終わると、メモも取っていないにも拘らず要点を適切に捉えた質問を向けたと言い、多くの人が天皇の記憶力の確かさに驚いたことを述べている。
学問に関しては、後述の生物学研究や御製の「おおらか」さなどから理科系人間である。秦郁彦は「さきの大戦のとき政府の要人で理科系の人物は昭和天皇だけであった(文藝春秋)」と評している。ちなみに敗戦後、皇太子明仁親王に送った手紙には「精神を重んじ科学を軽んじた」「米英を侮った」ことなどが敗退を重ねた原因であると記している。
一方で歴史、特に西欧の中世から近世にかけての国家の興亡史に造詣が深く、箕作元八の『仏蘭西大革命史』や『西洋史講話』はボロボロになるまで読んでいた。皇太子時代の訪欧では「わが国の歴史に十分な理解を持っている」との現地での評が残っている。独特の歴史観と言うべきものを有しており、発達した西洋文明をローマ帝国になぞらえ、その未来を憂うことがあったという。
主権回復後はキリスト教を好まず、独立前の常陸宮正仁親王が美智子皇太子妃とキリスト教について語らい、喜んでいたことを知った際に激怒し、皇太子妃がひれ伏して許しを乞うてもなかなか怒りが解けなかったと伝わる。もっとも敗戦直後にはキリスト教に対し容認的な姿勢をとっていた(現に皇太子の家庭教師は宣教師のヴァイニング夫人である)。
1983年5月行田市の埼玉県立さきたま史跡の博物館を行幸したとき、ガラスケースの中の金錯銘鉄剣を見ようとしたとき、記者団が一斉にフラッシュをたきその様子を撮影しようとしたところ、「君たち、ライトをやめよ!」と記者団を叱った。フラッシュがガラスに反射して見えなかったのを怒ったものである。昭和天皇が公式の場で怒りをあらわにした唯一の例とされる。
独特の魅力を持っており、アメリカのフォード大統領も訪日の際、昭和天皇に謁見したが、そのカリスマに終始手を震わせたと帰国後に告白している。鄧小平も1978年の訪日の際、懸案となるであろうと予想された両国の過去の問題について開口一番率直な謝罪を述べた天皇に「電気にかけられたようになって震えていた」と入江相政が語っている。国内では河野一郎が「俺には『この人には敵わない』という人が地上に二人いる、フルシチョフと天皇陛下だ」と述懐したと伝えられる。崩御の際には人種・地域を問わず、世界各国から代表者が顔を揃えたことからも、彼が世界に与えた影響を窺い知ることができる。
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